人の営みが健康な食生活と忙殺の中、人生は遥かに長くなりました。
すいませんが、今回は短編なしです。
50年が人生の期間だったころ、多くの人が盲腸・結核等で死に、幼児期間を搔い潜ることができなかった時、人間は与えられた仕事を少なくとも30代で終わらせました。
笑いたくなります。今、人生は何年と考えられているのか。
55歳での退職が普通だった頃、人の命は大体男性65、女性70であったはずです。
人間は、日本人は残された10年を自分に使うだけ。
「何のため生きろ。」なのかさっぱりわからず、ある意味、早々に死んでくれ、と同等。
そして、定年が65になった現在、70歳はまだ前向きに物事を考える歳だとされています。
私の周りの70歳は明らかに「老人」であり、もう続けることが限界で、それに加えることなど考えが及びません。
私自身、厚生保険の最小期間は支払い終えましたが、正直、それを1円も貰える気はしていません。幾ら払ったか。田舎のマンションくらいなら軽々買えます。
正直、この行政は不愉快でなりません。
70で元気だ、とノタマウ爺ちゃんよ。あんた、本当に元気か?どこも痛まないか?眼と歯は?気持ちはいつも前から逸らしてないか?気が滅入った時、つまらない家人の悩みや自分の5年後に気持ちは揺らがないか?
何億、毎年稼ぐか、しらねぇが、あんたは確実に死に近い。少なくとも死に数十%体中侵食されている。
私たちは働かなきゃいけない。50も近いのにもう20年。それの後、国が物凄く少額な金の年金を出し、生き延びさせる。
1億、いや、せめて3千万くらいの貯えがあり、65を迎える。
楽しいだろうか。肉体は朽ち、朽ちかけ、祈る人もいるだろうし、1年年金と合わせ500万とし、老妻と旅行。・・・それもままならない。あなたの様に堅実な道を歩む孫など少数で、幾らかずつ息子・娘に金を要求される。
あなたはどうしようもなく、汗の量、老妻の忍耐と同額の金額を渡してしまう。
死ぬ間際、大抵の日本人は何を考えるのか。
私には少しわかる。50は少なくとも30代の思考は持てない。
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国家財政が破綻してしまうのは困るのですが、少し年金は自由にすべきでしょう。
それを散在してしまうのは個人の資質でもある訳ですが、65歳ではあまりにも先が見えない・ない。
生き抜く金なんて、年寄りの考え方で「支払う人」が少なくて当然。
それで、破綻とか抜かしている「馬鹿」は早々に退職金と年金一括で支払い、それで行き詰れば、生活保護でもなんでもと思います。
欧米的破綻は日本では起こりにくい。そんな事は誰でもわかっていて、日本は公務員をどれだけ削減したか、その未知に対する金の再び国庫に戻る可能性は30%もあればいい。(心配しなくとも半分以上戻るけどね。)
55には「無職」でいたいと思うと同時に70まで生きられるかのeConomyは年金は55で約50%は返して貰いたい。預金なんて、それとほぼ同額だよ。(あぁ、退職金ってのもあるけど、私みたいに企業を渡り歩いた人には大した金額じゃない。)
小田和正の曲を静かにLinkしています。
この人は正直すぎて、私にはキツイ人です。「時を越えて」は別れた息子がいつも顔が浮かびます。何もできない事が当たり前で「想う」だけなんて、つら過ぎ「言葉にできない。」
年齢を重ねて生きる事は当然肯定であり、それは当たり前の風景です。
しかし、義務を果たし、仮に不幸にもそれを怠った方も「日本国憲法」は文化的生活を認めており、そこに少しの「格差」はあっても認めて頂く必要はあると思いますが、それをしない「政府」は全て拒否したい。
eConomyは55まで生きられるか、不安です。
仮に生きていたとして、「その時」より未来は夢だけか、それ以外の全てでありそうで、生きることに絶望しそうな気がしています。