「eConomyのSM小説の少し」 No.3
SM小説(官能小説でも良いんですが。)を書くとき(読むとき)のホンの少しのお手伝いを4,5年前入れました。
No.3を書いてみたいと。(余計なお世話・・・知ってるよ。)
今回は「書くとき」に限定しますので、もっと余計なお世話です。
私の立ち位置として、これほど「安易な書き物」はない、は既に、No.1、2に書いてますのでこれに関してはここでオシマイ。
私は最近、随筆・エッセイってものを読む時間が多く、上手いなぁ、格調高い文章だけど意識過剰じゃないの、この下手くそ止めちまえ、3行読んでポィッ・・・、少し悪い方が多くなりましたが、実際は出版物ですから、「上手いなぁ。」が多いのは事実です。
ナンカのおまけで捨て文?みたいに付いた文章ってあるでしょう。
どんなに名の知れた新聞・雑誌にも。
そんな中に格調高い・・・以下の文章を目にする事があり、まぁ、捨てます。
そこには「目的」がいっぱいあって、恣意は許さないとか、正論なんだカンナ、とか。
そんなのは一種の書き手の勘違いであり、「会社」みたいな背景があったりで、目的に少しだけ触れる、後は勝手な自己主張(つまり、こんな内容)は大抵捨てられますし、どんな名文でも正直、鬱陶しい。
その点、官能・SM小説ってのは、イジマシイほど読者よりに書かれています。
言い方を変えれば、サービス精神旺盛な文章とも言えます。
つまり、書けないって言う人がいますが、それは「身近な面でそういう事に疲れきった方」、「サディスト的要素を多分に持ちすぎた方」が多い事と、純粋に書けない(そんなもん書いても価値なし、を含む)人との総合です。
それを読む方は「価値なし」ではない訳ですから、純粋に書けないの範疇ではなく、前述の2つに偏った方と概ねの理解で間違いありません。
文章を作成する能力を少し煎じ詰めれば、日本語だから、って言う理由はありえます。
日本語と言うのは極めて「想像力豊かな」言語であって、書かなくても書いた?と同様な場合があります。
英語では全て具体的にし、動詞は過去・現在・未来形があって、名詞は単数と複数があり、関係代名詞って存在もあって、これらの点で極めて明確に「事象」を示し、一文は作らないと実際わからないし、大学入試では減点対象となります。
日本語は違いますよね。
例えば「あぁ、気持ち良い。」と書きます。
この場合、何が気持ち良いのかはその前後の文章でわかります。
英語ではどうでしょう。
その通りも書けますが、基本対象の記述が前後にあっても駄目で、その対象がこの内容にも要求されます。
更に、「気持ち良い」って表現は現在なのですが、日本語では過去の感想でも使われてオカシクナク、且つ、SEX自体か、彼女の膣か、アナルかの必要はなく、更に自分の意見でさえなくても良い場合があります。
この辺はある意味、日本語の醍醐味であって、非常に表現力豊かな部分。
だから、日本人ビジネスマンはこういう曖昧さを避ける事を覚えるべきとされているんだよ。
(箇条書き、(1)・(2)・・・で事象を連ねる。で、最初と最後は「見るべき人」を明確に、「答えの要否」。・・・嫌いだけどね。個人的には。)
話が大きくずれましたので軌道修正。
書いてみたい方は少なくはないはずです。(丸々1週間休み無しの方は日本には現在、いらしゃいますが、2ヶ月前はいなかったはずで。)
お金を使わない「娯楽」としては、これほど贅沢なものはないとも言えます。
一つの手がかりとして。
あなたが「架空の物語」を作るとして、まず主人公の一人称は何を選びますか。
日本語には一人称は数知れません。
今、例えば、「私」を選んだ人は少なくても、文章は書けます。当然、小説も書けます。
「僕」を選んだ方は難しいですね。ただし、女性がこれを選んだ場合、少し話は違います。(詳しくは書きません。)
「おれ」とした場合、あまり支持は得れません。
「名前」とする場合が、SM小説では正解と言うより、必然です。
つまり、SM小説では主人公(ヒロイン)の周りを男が取り巻く状態が一般的でそれに対応する人間が「私」を使うことが最も簡単です。(当然、私もそうします。)
「名前」と頭を巡ったあなたには書く立場のセンスがあります。
是非、どんな名前が思い浮かぶ(これって、色々あるんですよ。)のかは存じませんが、1説をお書きになってみてはと・・・。