青い空がなかった頃(私の夏休み直前に・・。) economy
このサイトにふさわしいのかどうか・・・。(ふさわしくありません。)
私には10年以上、空がなかった時期があります。
19歳から30歳近く。実は後数年。理由はありません。「怖い」って感情で青空が見れない。
19の頃、当サイトの「ある奴隷妻の物語」に出てくる男の方(の名は何にしてたっけ・・。で、調べない。思い出そうともしない。)は、高校から大学(書いてはいませんが)にかけては私自身。(もっと、うまく書き直したい。これも当然しないけど・・。)
私はいつも、高校の椅子に座って、窓の外ばかりを見ている青年だったようです。
高校に通った時なんて、ほとんど憶えていない。当時、本は何を手にとっていたでしょう。これもはっきりとしない。
でも、当然エロ雑誌は読んでましたよ。且つ、SMが多い。スナイパーとかです。妄想の中にいる方が好きだったんでしょうね。それを現実にしようとかは全く考えなかったし、できるとも思わなかった。
本に関しては、中学、予備校、大学の方が明確。そして、その頃読んだ本は全て私の記憶にあります。(大学の時は、その日の命を続けるため必死に安ワインと鶏肉・卵・にら(当時、主食)で本にしがみ付いていました。)
高校は本当に全く何もしていませんねぇ。遠い距離、自転車で通学し、後、一眼レフカメラが宝物。機械が好き。Audioとともに大好きでして、一眼レフは手で撫で回せる(今もこの行為は機械以外で好き。)部分で愛玩具。
被写体?何とってたっけ。やっぱり憶えてないや。
勉強なんかするわけはなく、高校は450人中420番かなんかで卒業しました。 (平均点2,4~2,6とか言う成績。後で大学の奨学金貰おうと申請したら、「こんな成績でうちに来た学生は知らないし、奨学金(育英会?)規定で1円も支払えない。」と言われましたとさ。バカヤロウ。関係ねぇだろ。貸すぐらいしろよ。どうせ、少しの利子取られて返さなきゃいけないんだろう・・知らんけど?
国立大学は、地元の大学には行けるかもしれない得点を共通一次(知ってる?)で取ったのですが、東京へ行きたかったので、予備校に入学です。
田舎の予備校って面白いとこで、私より「不真面目」がイッパイいました。 つまり、何のためにそこに通っているかがわかってない学生。
私は大学全滅から英語、数学などノルマを決めて既に勉強を始めましたので、最初の実力試験でダントツの1位でした。全国試験でも、全部A(60%~80%合格です。)評価、東京6大学の当時中間クラス(ランク上と下の名は書かない。)でも、志望者1,000人中1位とか、全然不思議ではなく、ありましたね。名前も全国何位とか出ていました。
私の空を奪う日が刻々と迫っています。
そのまま行けば、私は今、何をしていたでしょう。当然、希望的推測ですが、大学院行って、助教授から教授になりかけくらいかしら。
ある日帰ると、若い女の夏物の靴があります。弟の彼女とその妹。何故、二人だったのかは未だに不明。弟(高校3年)がその娘を妊娠させた、でナンヤカンヤ。10日くらいは何事もなし。親父と弟が殴りあいの喧嘩を始め、私は黙って見ていたり、止めに入ったり。
これは私にはショックでした。実際、自分が人と喧嘩などしない。・・・殴り合いはね。
大学はもう6月末万全(一応、全て目を通し終え、英語の構文を2000ほど頭に叩き込んでいる最中。・・余談、先日ザァーと構文見たら、4つしか正確ではありませんでした。驚き。まぁ、合ってりゃ良いんでしょうけど。)だったのですが、やはりデリケートな時間だった訳です。
私の神経は受験の日が明日にならないかと願いましたが当然叶わず、ある日頭の中が考え事の最中、真っ白になりました。
「お母さん、なんかおかしい。」これ、私が言ったんですねぇ。
私は壊れました。所謂、自律神経失調症ですね。そこから不安神経症に陥るのは2週間後。
様々なことがものすごい不安になってこわいんです。
例えば、数学の答えが永遠にないこと・・。(空を見るのが怖くなった・・永遠に続く空間だから・・。)、数式を見るのが(解くのが仕事)怖くてしょうがない。
後、3つくらいあって、起きている間は、順番に入れ替わり頭を抱えている。
そして、躁鬱症の前兆。5分の輝く時間と55分の漆黒の時。
・・・・これからは恨み事もあるし、色んな事情もわかってきたし、で書きません。
話を跳ばして、いよいよ大学受験に・・・。
成績は落ちました。だって、一番勉強しなくてはいけない時に、アルコール片手に考え事(死ぬほどの悩み)と復習的内容しかできませんでしたし。予備校でも成績は1人に抜かれ、また1人に抜かれで落ちる一方。
A評価はB,C評価になり、「受かるんだろうか。」と。
そして、「受かれば死ぬ。」と考えていました。
大学受験は例によって、共通一次(だから、知ってる?)から、1000点満点中、720点くらい。
この段階で国立は滑り止めになりましたが千○大学の△学部。(今は難しいようです。私立が逆転していたころです。)でも、実は滑り止めなんかじゃない。(当たり前。)
空を無くした私はただアルコールをエネルギーに、私立6受験をしました。
結果的には第一志望に合格しましたが、ちっともうれしくなかった。
「終わった。死ねる。」のみで、気分的には落ち着きもしません。
それで国立はパス。予備校では手のひらを返して、交通費持つから受けに行け、でしたが。(田舎予備校なんでね。都会に近い合格者(国立は特に)欲しいわけです。)
第一志望に合格した理由は簡単です。
私は2校(正確には学部違いが多いので、・・何と言えばいいの?)しか合格できませんでしたが、受かったのは、最初に受けた2校のみです。
一番最初が第一志望。受験後、(落ちたかな。)と考えました。それで2校目は本当に「全力」で。(これは大学の掲示板に出ました。もしかしたら、全部満点近かった?)
この発表は受験中で、雪の日を良く憶えています。友人と一緒に二人の発表があり、それぞれ見に行きましたので。
私は時々、中華の店に入り酒を飲み、売店で酒を買う。
驚いていましたね。そりゃそう。
明日も受験って時にそんなことやってる19歳はいやしない。
私の方が先で、掲示板にすぐ番号を見つけました。「行こう。」
不思議に聞こえたのか、彼が聞き返します。「受かったの。」彼には手が届かない学校。「うん。」それでおしまい。
今度は彼の受けた大学へ。
豪雪となり、掲示板が見えません。彼には届く学校でしたが番号は無く。
人間が本当に泣くのはやっぱりうれしい時です。そして、悲しい時には笑う。彼は変な笑顔でした。(この人は第二志望校に補欠で合格し、今は地元の放送局に勤めています。)
上に「全力」って書きましたが、当時、私の全力とは、アルコールを身体に入れることです。
最初の受験では、アルコールは飲みませんでした。
でも、試験の合間に初めてタバコを吸いましたね。クラクラ・・と次の科目へ。
2回目はもう無茶苦茶。受験の最中、ウィスキーボトルラッパ飲みしてました。見たことないでしょう。そんな受験生・・・。
教官、院生なんかはビックリして私ばかり見てましたが。止めませんでした。ありがとうございます。
その後、4つはもう全滅。ランクが第一志望の2つ、3つ落ちたところも落ちました。
頭が働かないどころか、身体が言う事をきかない。小論文なんて、白紙。寝てました。アルコールの力でね。
青い空はアルコールに似合いません。きっとSMもだね。
私はまだ、その後遺症(心の傷)を抱えながら生きています。
でも、昨日見た青い抜けるような空と大きな入道雲、クマゼミの五月蝿い合唱。
「まぁ、人間一人生きていくことは大した問題じゃないな。」
そんなことを考え、この文章を書いてみました。
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