すいません。Topに書きました様に「未完」で本文にも至っておりません。
お盆前で工程処理に忙殺され、お休みに入ります。
「15歳のストレス」
本内容は一応、某猟奇的殺人に関して書いてますが、タイトルとおり、個人の資質(=健康的とか病的とか・・・。)に関しては触れていません。それに通じる部分があれば、eConomyのただの私的な考えです。
人間は生まれることからもストレスを感じるものだと思います。
何故なら、生む側には多大なストレスがあるのは当たり前で、それを「感情の問題」だけの差し引きで0にできるわけもなく、そのエネルギーは多くの人を巻き込みつつ、且つ、放射状(発散できなく篭るものもあり)に向かうもので、「喜び」と言う若干の吸収材だけでは足りない、それすら希薄な場合もあり、・・・ストレスとして人々にエネルギーが残されます。
もっと書けば、社会制度に組み込まれることも当然ですが、歯が変わる・声が変わる・生理が始まる・射精が起こる等、当たり前の人間の成長過程も、本人にとって、ストレスに近いものを蓄積しつつ起こると思って間違いありません。
さて、もう「名前」までは忘れましたが、校舎の門の上に生首を置いたり、マスコミに自分の犯行を送りつけた「少年」が世間を騒がせました。今回は少女の犯行です。(遺族の皆様にはご無念のほど言葉にできない事、わかっております。本当にお気の毒で、当方も何一つ、お慰めできる言葉を持ちません。本内容は事件の内容の推測に近い部分ですが、面白半分なものではありませんのでご理解下さい。)
「囚われる」って言葉があります。(「捕らわれる」かもしれません。)
心の弱みに付け入られる様に「囚われる。」
私は残念ながら神仏の一切を信じませんので、天国にも行きませんし、行く資格もありません。何時死んでも、土か、海(こっちを希望)の中に溶けて、微小生物の餌になるだけ。
人は「苦しみ」から逃れることはできない。
まで、書いて放り投げています。後もほんの少し。適切ではないので10行ほど切りました。
書くか、書かないかは・・・。
追記 加害者の少女が突然生まれてきた新種のような気は私はしないのは事実です。
よくある言い方だと、あまりに社会が複雑になったため対応できない「人間になりかけ」が増えている。ということで す。何がそういう中津半端を「人」にするのか、できるのかを若干書き足したい。
eConomy